151213

◼︎お布団の中でその日を振り返る時間が好きだ。
 どんな1日だったかゆっくり色々なことを思い出して微睡む私だけの時間。良いこと、悪いこと、トータルで換算してトントンになればそれは大体普通の日。偏っていれば良い日、悪い日ができる。ただ、何を以って良い悪いとするかはその時の価値観によるので一概には言えない。極端な話、好きな人がいればその人と会話ができただけで9割は良い日だったなあという感情に占められるわけだ。A地点における良い日はB地点における悪い日かもしれないね。うらぶれたセンチメンタル。今夜のBGMはamazarashiの気分だよ。
 さて、今日は昨日に引き続き比較的暖かい日だったと思う。如何せんタイトルの日付が13日になっているからわかりづらいけれど、ここでいう今日は12日のことだし、昨日は11日のことです。マフラーをぐるぐるにしてコートで凌げる寒さは比較的優しい。夕方から後輩達のライブを見に行って、そのあとに同期の飲み会があって。久しぶりにたくさんの人と同じ空気にあてられて、少しばかり疲れたような気がする。友人曰く見たことがないほど随分静かだったらしい。多分石か何かになっていたんじゃないだろうか。アルコールの回りが遅いのかなんなのか、ほろ酔いが継続する体質はなかなかに重宝している。まあ今はすっかりアルコールなんて抜けているのだけれど。焼き鳥、美味しかったなあ。
 13日は20歳最後の日であるのだけれど、特に何の予定もなくて少しばかり寂しい気分である。午前中にきちんと起きられたら髪を切りに行きたいな。なお当日以降、プレゼントどしどし待っています(あつかましい)。Amazonの欲しいものリストのURLでも貼っておこうっと。
ipodはばきばきに壊れて落とし物から返ってきたからわりと切実に欲しい。はあ、お金がなくなる。
 
◼︎ついでにメモ帳から発掘した文を晒しておく。
 小さな液晶ディスプレイを、毎日毎日、必死に覗き込む。メッセージアプリを起動して、読んで、打って、閉じて。今度はその隣のSNSを開く。親指でゆっくりと画面をなぞり、人々の呟きの上を目が滑る。電車の遅延に吐かれるいくつもの悪態、バイトや仕事や学校によって生まれる憂鬱、今日はこんなものを買った、誰と会った、何処に行った。カーボン紙でとられた写しのように、日々はひどく安定して、今日も巡っている。そこに何があるってわけじゃない。見て得をすることなんてこともほとんどない。言うなれば、それぞれの生活のメモ書きを読んでいるだけのようなもの。けれど、ただただ、誰かと、世界と繋がっている感覚が欲しいばっかりに、灯りを求める羽虫のようにそこから離れられないのだ。
 
◼︎寿命が目で見えたらいいと思う。
 某死神の目みたいなね。私ももう少し生産的な生き方ができるのだろうか。などと考えてみたり。まあそんなことはたられば論でしかないのだけれど。考えるだけならタダだから良いじゃないか。タダより高いものはないとか、それはまた別の話。リミットが分かっていれば大切に日々を過ごすだろうし、身支度や心の整理というものも徐々についてゆくのでしょう。ああでも意外と発狂するかもしれないなあ。目に見えない恐怖に心が耐えられない気もするや。死ぬといえばかの有名な世界の中心で愛を叫ぶが私は結構好きで、あの彼女の言葉の節々は未だに頭にこびりついていたりする。カルシウム摂取がどうのこうのという話はさておき、骨を少しずつ毎日かじって体内に取り込むというのは一体化するという究極の愛のひとつといっても差し支えないのではないでしょうか。死後の骨でもカニバリズムに含まれるのかしら?人の共食いはくる病の危険があるんだっけね、これ人肉だけだったかなあ。
 そんなどうでもいいことを考えながら今も限られた寿命を無駄遣いしているんだぜ。