あえて見ないフリをすることの必要性はたしかに存在する

 10月。本格的な秋の季節。風が冷たくなって、冷房をかけなくてもいい気候が増えてきた。
慢性的な疲れが抜けないせいで、休日は時間さえあれば寝続けているようなサイクルが続いている。一種の過眠症なのだろうか。毎日浅い眠りをとろとろと繰り返している。
 
 昨日もまた夕刻、夢を見た。悲しい夢を見た。
よく知った大学近くの道をどこかに向かうために歩いていると、後ろから連絡の絶えたあの子とその彼氏が笑いながら歩いてくる夢だった。私に気が付いた後、あの子に無視をされて、彼氏くんだけが私に追いついてお久しぶりですと声をかけてくる夢だった。一緒に帰らないの?とあの子に尋ねる彼氏くんの小声にいたたまれなくなって、急いでるからと緩やかな坂道を走る夢だった。夢だった。
正確には、悲しいという表現は適切ではない。しっくりくる言葉が見つからない。ただ、悲しい、切ないなんていう美しくて真っ直ぐなものじゃなくて、どちらかといえば絶望みたいな突き落とされる気分だった。
走れど走れど加速のつかない足が気持ちが悪くて仕方なかった。昔から夢の中で起こるいつもの現象、速く走れない。何回経験しても、やだね。
 
 どこまでが正常で、どこからがおかしいのか分からない。
とにかく話題を選んで人と接することが億劫。何を言ってもしても悪しきように捉えられる気がして、被害妄想が入ってると分かっていても止まらなくて、ただただ人が怖いと思う。頼るということは、それなりの気力がないとできないことなのだと今更になって知った。
心にさざ波を立てないようにじっとひとりで過ごすことを選んで、それで周りに余計な迷惑をかけなくなったことは確か。ついでに色々と解決すれば良かったのだけれど、陰鬱とした気分は晴れないし、呼吸をするのも苦しい。毎日生きていることがたまらなくしんどい。きっと生まれてきたことがそもそも間違っていたのだ。比べる対象がないことは、正常な判断が鈍っていくことに繋がるのだなあとぼんやり思う。知らんけど。
 今はだめ、今はいい、と時々で関係性を望むのはひどく不遜であると思う。少なくとも私は私にそれをされたらぶん殴っている、何様だよと。だからそういう失礼なことを人にしてはいけない、そう思っていたら余計にどうしようもなくなった。
 こうやって毎日泣くことも死ぬことばかりを考えるのも、もしかしたら普通のことなのかもしれない。私が知らないだけで、皆それぞれ何かに耐えて泣きながら過ごしているのかもしれない。そしたらもう仕方ないよな。
人前で何も無いような顔をしてへらへら振る舞うことにも慣れてきたけれど、ふとした瞬間にうまく相槌を打てなかったりして、自分の会話の下手さやコミュニケーション能力の低下を感じる。頭が上手く回らないって欠陥品ですなあ。
 
 いつかそのうち限界がくるのだろうかとちょっとした不安を抱えないこともない反面、自分の頑丈さを分かっているからまだまだこないだろうなと思う。どっちの感覚が正しいかは、その時が来てみないと分からないというやつだ。おしまい。