忘れられない事は思い出と呼ぶ事すらできない

 ストレスで体調を崩しまくっていたら夏が終わっていた。
アプリのカレンダーに予定を打ち込みながらふと、そんなことに気が付いた。
暦はもう9月も半ば。朝方、出勤時間がひんやりとした空気と薄明るさに染まっていることも最近では珍しくない。心地良い気温はいよいよ秋の訪れを感じさせる。
 思えば、嫌いな季節はうやむやなまま過ぎ去っていった。暑い日差しも流れる汗も上がる体温も、熱気に支配されるあれもこれも、何もかもが苦手だ。 夏に対して抱くこの感情はいっそ、一種の恐怖感に近い。昔は海にスイカに、それなりに楽しんでいた記憶もあるのだけれど。
 
 近頃はといえば何をするにもとんと興味が湧かない。なんとなく、で詰める予定のすべてが実のところどうでもいい。あってもなくても別に。
それらしく振る舞うために予定とするけど、無くなっても構わない、そんな感じ。
ライブも人もご飯も仕事も音楽も本もぺらぺらと実体を持たないまま身体をすり抜けていく。そしてそれと同じくして、自分の存在価値はどこにもないことも理解している。あってもなくても、なんだよね。ぺらぺらなのはどっちだっつー話。わはは。
 相も変わらず、ふとした瞬間のフラッシュバックはひどい。集中する、それだけのことがとても難しい。
この数ヶ月、色々とやれることは全てやって頑張ってきたつもりだったけれど、何一つ状態が良くなっていないことを鑑みるに、きっと頑張り方が間違っているのだろう。どうしようもない、本当に。でもそれなら、一体これ以上何をどうしたらいいんだろうね。分からないよ。
後悔することばかりを思い出して涙が止まらなくなって、痛くなる喉元とごめんなさいで埋め尽くされる頭。毎日そんなことばかりを繰り返していたら、少し疲れてしまった。
挙げ句の果てに現実から逃げ回るように週末に予定を入れて風邪をこじらせて。そのせいで祖母に会いに行くことができなくなった時、心底自分に嫌気が差した。
 なんだ、結局のところ、全部言い訳にしたいんじゃないのかお前。呆れながら問う自分自身にそうかもしれないなとぼんやり思った。
 
 ほぼ1ヶ月ぶりに会った祖母は驚く程に痩せて病状が悪くなっていた。
さすったところから肩や背中の骨が浮き出ているのが分かった。自立歩行が何かに掴まりながら、ひどくゆっくりとしかできなくなっていたことが信じられなかった。食べられる物も量も少なくなっていて、足の筋力が衰えて真っ白な足が怖いくらい細くなっていて。
転げ落ちるように悪化するらしい、という数ヶ月前の会話が現実になって表れていた。
 祖父の喋り方が、ただ病人を労る以上に長らく連れ添った妻を心配する優しさで満ちていたことも、余計に胸に刺さった。愛情っていうのかな、形に見えない愛しさとか優しさとか。たまらなく美しくて、同時にたまらなくしんどかった。
 冬になる前までは、なんてそんなこと言わないでよ。お願いだから。
 ぼろぼろと崩れ落ちていく全てを仕方が無いと受け入れるには、私は弱すぎる。
 
 強くなったつもりだった、何も変わっていなかった。生きてる意味が分からなくて毎日毎日やり過ごすようにしていたら、人がどんどん嫌いになって怖くなって、何もかもが億劫になった。
生きるに値する理由もなければ死んで許されるほどの理由もなくて、ただ死んじゃいけない社会的な理由だけがあって、考えないように足を進めていくしかなくなった。
 いろんなことが頭の中でぐるぐるする。いっそ全てを放り出してしまいたい。お仕事もお休みしてしまいたい。意識がなくなってひたすら眠りにつくような時間が欲しい。毎日ぐずぐずに泣いても許される立場が欲しい。
だけど現実はそうじゃないから、なんていうか、生まれてきたこと自体が間違いだったんだろう。大事に育てて貰ったのに何もできない出来損ないになってしまったことが、恥ずかしくて申し訳なくて仕方ない。
 ただそれ以上に色々としんどくなってしまった。それだけだ。自殺する勇気もないくせに、朝に夕に、どうしたら早く死ぬことができるか、そんなことばかりを考え続けている。眠たいなあ。